はじめに関係性ありき

「はじめに言葉ありき」の言葉とは、信号という捉え方ができる。信号とは“発信する側”と“受信する側”を結ぶものなので、“関係性”がより根本にあって世界が開かれたと捉えた方がいいような気がする。関係性(相互作用・コミュニケーション)によってすべてのものが創造されて生成発展しきたのは事実であるからだ。
ポアンカレ

『分子が分子を識別すること。これこそサイエンス成立の根幹であり、生命存在の根幹に関わる事実である』

といっている。なぜなら極微の世界には素粒子の“排他原理”がある。自他を規定するこの排他原理なしに、クォークは別々の陽子や中性子を作れない。またそれなしには原子がすべて崩壊していたといわれる。つまり、信号の送り手と受け手の相互作用で万事万象が成立していることになる。
“関係性”(=相互作用)を動機としてこの世界が創発されてきたというのが世界の実相である。
ただし“相互作用が創造の源”といっても、そこには条件がある。基本として“途上のスタンス”での『開かれたコミュニケーション』でなければならないという点だ。途上の姿勢すなわち“空き”を作ることで必要な“何か”が入ってくるからである。もし、閉じたもの同士がコミュニケーションをしても、不毛な相互作用に終ってしまうことは目に見えているからだ。柴田昌治さんのオフサイトミーティングの狙いも、異質な意見を拾い集め『化学反応』を起こし第三の創造的視点を生み出すことを目的としている。
中村雄二郎氏は「状況、他者、自己自身との絶えざる対話が、人生の本質である」と定義した。まさに私たちの人生は、訪れる出来事との相互作用の連続である。そして、願わくばその対話は創造的なものでありたい。人生という「環境と自己の対話」の舞台でそれを可能にする秘訣を、文豪ゲーテ

『同類のものは我々を安心させる。しかし、反対のものは我々を創造的にしてくれる』

といった。
万事万象がコミュニケーションで成立しているということは、身の周りの“環境が発するメッセージの受け手”は私たち人間ということになる。環境に対して、いつも開かれた応答ができる人は『人生の達人』と呼ばれる人たちである。大半の人(もちろんその中に小生も含まれる)は環境からの“意味ある挑戦”に対して、ややもすると“閉じた状態で応戦”しようとする過ちを犯しがちだ。いつも、偶有性の海での相互作用を楽しむという気持ちで臨みたいものだ。

そう考えると、GoogleやYahoo(NTTやSoftbankなども)は、コミュニケーションそのものを商品として成り立たせている。我々はそこで多くの恩恵を受けている。ただし、日々そこで展開される対話が“閉じた対話”なのか、それとも“開かれた対話”なのか、そこに未来の方向性がかかっているように思う。オープンソース現象のような“本来の関係性”すなわち善性が際立つ相互作用が、他の分野でも起こって来たとき、新しい地平が開かれてくるように思う。