森山茂『自己創成するガイア』を読んで
真の革命(変容)とは
昨日までのクリシュナムルティの考察を下に、西田哲学を基盤に持つ地球物理学者 森山茂氏の本を通じてさらなる考察を試みてました。
氏は、文明が生まれて以降の人類の歴史のなかで革命と呼べる変化はまだ一度も起こっていないといいます。(※文明以前の進化の過程で“言語の獲得”は革命・変容に近いのかもしれません)
しかし地球の歴史(生命の歴史)を振り返ってみたとき、まちがいなくこれは「革命」といえる大事件がいくつか起こっているといいます。そのとき、地球上で繰り広げられてきた生命によるダイナミックな力動的世界においては、「個が全体をガラっと変えていく」という自然界の生成の論理が存在してきた事実があるといいます。
その概要とはこうです。
『35億年前の地球は酸素が希薄で表面は嫌気細菌(酸素以外を呼吸する生物)が棲む世界一色だった。しかし、そこにもわずかながら好気細菌(酸素を呼吸)が生息しており、あるとき誕生したわずか一種の生物(シアノバクテリアという細菌。これはエネルギー変換をして酸素を吐き出すこともできる細菌)が、世界を一変したというこの奇跡的な地球物話はほんとうに起こった話です。
それまでのワールド(旧体制である嫌気細菌ワールド)に反旗を翻すべくたった一種類の好気細菌が現れ、旧体制に異議を唱えたときからたちまち(地質学的には一瞬)のうちに、旧体制のネットワークが崩壊し、現在もその子孫が惑星を謳歌する「好気生物のワールド」が実現したというのです。
わずか一種の変り種細菌が、具体的に何をどのように変えたかというと、「それまでの世界で猛毒と恐れられた酸素(燃焼や活性酸素でとうてい扱えない)」を逆利用し解毒する酵素を自らの内に備え、さらに猛毒とされていた酸素を呼吸するという「大胆(気違いじみた)不敵な一種」が生み出した方法でエネルギー効率が19倍にアップしたというのです。これにより旧体制派は堰を切ったように崩壊、駆逐されていった。。。 旧体制にとっての猛毒は、じつは新体制にとっては栄養にもなるという、 まさに価値観の変換もつ偉大な力を過去実際に繰り広げられたこの生命誌の史実が如実に教えてくれます。絶体絶命の時こそ、それを反転する好機であることがこの本の作者森山茂氏のメッセージから伝わってきます。
これは、まさしく“変容”そのものではないでしょうか。
たった一種の変わり種生物のシアノバクテリアが、あるがままの世界(嫌気細菌ワールド)を眺めたとき、そこにおいて全体性(敵は敵ではなく、世界のダイナミックな生命の躍動を共に担って生きる協力者)という視点が蠢き、働いたといえます。なぜならシアノバクテリアがやったことは他者(嫌気細菌)を体内に取り込むことで、システムの変容が起こり(酸素の解毒酵素を体内に生み出し、エネルギー源としてしまった)地球上で初めて「共生」というシステムを生み出したのですから。
さらにここで、森山氏は革命について次のようなことも述べています。
『嫌気細菌のワールドで、たとえば私は好気細菌です!と肯定的言明をしたところで、それは単なる“犬の遠吠え”・“戯れ言”であり、事態になんの変化ももたらさない!』のだと。
ところがシアノバクテリアが35億年前にやったことは、“私は○○では決してない!”という強烈な“否定的言明”だったといいます。
革命の本質とは、自己と他者が対峙する外側の視座に立ったときはじめてゲシュタルトチェンジの引き金か引かれる強烈な否定的言明が可能になるのだと。』
これは、「我は我ならずして我なり」という上田閑照先生の我と汝のあいだにおいても立ち現れる。
一旦、関係性の継続を終焉させる。そして全く別の視座に立って強烈な言明をする。「わたしはけっして“我は我なり”(デカルト的)の我ではない!」(※しかしこの否定は他者に対する絶対肯定を孕む)
過去に革命と呼ばれる出来事があった。しかしそれは、同じ思考という枠の中での言明に過ぎなかった。すなわちそれは“弱い言明”にすぎず、それゆえ事態を根本から変革することはできないのだと。
シアノバクテリアがしでかしたことは、自分を駆逐しようとする敵をも包み込み「共生する」という奇跡(いままでの価値観とは別の次元。絶対矛盾的自己同一)を体現したことにほかならない。そのように感じます。
昨日考察したクリシュナムルティの生涯とは、牢獄の中で囚人となってしまった友に対し、ほんとうは無実であることを伝えて、脱獄計画をわかりやすく伝えようとしている親友の姿だといえる。(これは少数が大多数への対応の際に直面するときの比喩)
しかし、この牢獄は厄介なことに杭にかけられた鎖に繋がれてもいないし、檻があるわけでもなく、だれもが伝統や価値観という思考によってそれなりに自由や豊かさも与えられていて、自分たちが囚人という自覚はない。生計を立てるために勉強し・人に迷惑をかけずに人生を終えることで良しとする。それがちっぽけな人間の分際をわきまえた宿命だと刷り込まれた巧妙な牢獄なので、無自覚・無意識の状態の囚人であるという構図です。
蛇足ですが、間近に迫る師走の総選挙がすが、森山茂氏は著書の中で政治的革命について次のようなニュアンスで明快にいいます。
『既存の勢力または政権に対して、「それとの差異を生み出し、それとはまったく異質なものとしての存在を生成すること」を
ネットワークでの「否定的な差異の生成」という。それは政治上の革命のみならず、言語、社会、そして生命といった、生命が関与するシステムの劇的な展開を説明する記号論的な動きなのである。』この文脈で言うと『どこかの国で起こっているようなA政党の離合集散や派閥による政権のたらい回し状態や、B政党のA政党への肯定的融合による見かけ上の政変のことを革命とは言わない。。。』云々。
クリシュナムルティ『アートとしての教育』を読んで
クリシュナムルティ『アートとしての教育』を読んで
まず最初にこの教育論が「アートとしての教育」という題名となっているところに注目しました。
なぜならのっけからこの題名に意表をつかれたからです。そこでクリシュナムルティが、アートという言葉に込められた思いを推察することからはじめたいと思います。
以下はウィキペディアから引用です。
『アートとは現在では芸術という意味合いに収まっているが、もともとの語源は「人工のもの」や「技術」という意味であり、芸術の概念は近代まで、単なる技術と特に区別して呼ぶ場合「よい技術、美しい技術」といわれていた。
さらに、技術とは「ものごとを取り扱ったり処理したりするときの方法や手段。および、それを行うわざ。ものごとをたくみに行うわざ。」とあります。
クリシュナムルティがここで語るアートとは、技術あるいは技工という意味合いが強いということにある種インパクトを受けました。むしろ芸術の本来の意味として醸し出される美しさという意味での「教育はアートだ」と言ってもらったほうが(「芸術は爆発だ!」 と言った創作家がいたが。。)しっくり収まるような気がしたからです。
ではなぜ「人生は芸術」という優雅な響きと同じニュアンスで「教育はアート(芸術)だ」とクリシュナムルティは言ってくれなかったのか?
「人工のもの」や「技術・技工」や 「方法・手段」よりも、明らかに「美しい」と言った方が人間存在の秘められた「偉大さ」や「崇高さ」、「気高さ」を思い起こさせてくれるはずですから。。
しかし、そんな悠長に構えることはできないのっぴきならない状況が今日私たちの目の前の世界で起こっていること、それを教育の技術というスタンスでクリシュナムルティは伝えたかったのかもしれません。
その透徹なまなざしは、世界の深刻さと重大な局面(分裂、葛藤、排他、断絶、衝突、闘争の世界)を決して見過すことはできなかったのだと思います。それは人類社会が危機的状況に差し掛かっていることを読むものに真剣に訴えかけてきます。
この本を読み進むにつれて、教育技術の意味が段々とわかってきました。条件づけを拡大する今の教育は、「本来の教育」とは別ものと化している。(葛藤に手を貸している) 教育そのものを抜本的に組み替えないことには、芸術には程遠い場所にあることは確かだからです。まず、組み替えを起こす術を教師が身に付けることなくして何も始まらない。その方法(術)として“傾注”という「あるがままを直に観察する(洞察) こと」が教師の重要な役割として言及されています。
しかし、ここでまたしばらく読み進む中で、ぼくは自分の浅はかさに気づかされました。それは「別ものと化した教育」と「本来の教育」とを分ける自分自身の視点の愚かさ・無意味さにであります。
傾注することによって「善性が開花する」という事態は、まぎれもなく技術によってもたらされた偉大な美(芸術)であることを。。。
ここへ来て、やっと「アートとしての教育」のアートとは傾注し英知の光が差し込み、善性が開花した場においては、 「技術」と「芸術(=美)」は渾然一体となり、深淵な光(英知と愛を孕む)を投げかけてくれることが理解できたからです。 「技術」から「芸術」へと変換を起こす、否両者が別々のものではなくなる術(技術にして芸術なり。。)こそ、まさしく「アートとしての教育」の意味だったんだということがやっとおぼろげながら見えてきました。
この本の中でクリシュナムルティは以下のように教育を定義しています。
教育とは、知性に変容をもたらすこと
教育とは、善性を開花させること
教育とは、思考の条件づけから抜け出す方法について学ぶ術
教育とは、くつろぎの中で英知を呼び起こすこと
教育とは、自由な人間を生み出すこと
教育とは、一人ひとりが全面的な責任を負う存在であることを教えること (人類全体に責任を負う)
教育の役割はパターンを打ち破ること。つまり真の革命であると。そしてその目的は世界に本当の意味での秩序をもたらすこと。
ほかにも、さまざまな文脈の中で教育が定義されていますが、その主旋律として流れるものは、クリシュナムルティの慈愛に満ちた傾注によるまなざしと、人類を覚醒させたいという真の教師としての情熱です。
変容に至る技術とは以下の言葉に凝縮されます。非常にシンプルですが、深い洞察の中から察知されたことはいうまでもありません。
『 ただ、あるがままに目の前に起こる現象に注意を注ぐ(傾注する) 』
しかし、率直に申しますが。。。これを教育の場で、教師が生徒に伝えることは至難のわざと言わなければなりません。
なぜなら、今の教育は過去に蓄積した知識を継承・持続することをベースにしています。それが生計を立てる最善の手段と考えてきた社会システムだからです。
一方、クリシュナムルティが唱える教育は、知識や思考の蓄積、継続が人類の分裂や葛藤の原因だと見抜き、そこから抜け出すための方法を教えることが学校の役割であるとし、それ以外に方法はないとクリシュナムルティは断言しています。
いったいこれ以上の矛盾はあるでしょうか?それはまるでアクセルを全開しながら、ブレーキを踏み続けるような無謀とも思える教育です。
クリシュナムルティは、さらに詳しく教育についてつぎのようにもいいます。
思考の条件づけや、そこから抜け出す方法について学ぶ術が「教育」である。それは細心の注意を払って観念や価値観(太古から続くパターン)の中に書かれていることを読み取る。そして注意を払って書物からでなく世界の観察(あるがままを見る)から学ぶ(実際の知覚に至る)ことができると。
別の言葉に言い換えれば、クリシュナムルティの教育は、「理論や仮説や理想を扱うのではなく、現実における日常的なあるがままの“存在”を扱っている」のだと。
つまり、現行の教育の基盤にある考え方とは、全く別の基盤の上に立った教育から人類のマインドの反転(変容)を試みる新しい教育だというのです。
そこにおける教師の役割とは、科目に関する知識を教える以上に「完全なる人間になること」に手を貸す役割と言ったほうが適切です。
完全な人間になるとは、善性を開花するという意味であり、また世界の出来事すべてに「全面的に責任を引き受ける姿勢を培う教育」に取り組む中でそれは顕現するということになります。
これまでの教育では、ちっぽけな人間という位置づけで自由や権利、責任を論じてきたわけですが、クリシュナムルティが提示する教育とは、既存の教育のはるか彼方の地平へと移動することを有無を言わさず要請するとてつもなくダイナミックな教育論だと思います。(しかも一人ひとりの人間に対して最大限の尊厳をもって語りかける) それは知識を超えた英知(叡智)に至る意識の変容(物理学で言う相転移)すなわち人間存在の根本的変革という事態です。
そして再度問いたいのは、はたして、生活の糧を確保するための教育と全面的に責任を引き受ける姿勢を培う教育の両立は可能なのだろうか? と。
。。。教師への手紙を綴るクリシュナムルティの心情や如何に。
ただ、はっきりわかっていることが一つあります。(できる、できないを問う前に。)
それは、このままの延長線上の未来には破滅が待っているということです。 なので、教育がこのまま現状の思考の持続・継続をくり返していては人類がかかげる理想の未来にはたどり着けないないということになります。
平たく言ってしまえば革命(変容する)しか生き残る術はないという結論です。責任を持つか放棄するか二つに一つ。。(このまま社会に飲み込まれるか、過去を完全に退けるか)
そもそも「革命」という言葉自体が今日では固定化、矮小化し、レッテルを貼り、近寄りがたい危険地帯へと意図的に遠ざけた感を否めません。そこには権力・権威に委ねるべき大衆という依存社会の構図が刷り込まれています。(“揺りかごから墓場まで”守ってあげるかわりに無駄な抵抗はよせ)
しかしクリシュナムルティの教育の目的はまぎれもなく革命です。しかし、それはレッテルとして刷り込まれた革命とは全く別のもの、すなわちそれはマインドの変容という形で立ち現れるものだと思います。
そしてその新しい行動から立ち現れた、英知が秩序をもたらす。・・・クリシュナムルティの教育は、「あるがままに傾注する」という新しい行動によって、真の秩序ある別の世界が自ずと立ち現れてくるのだといいます。
この革命はコツコツ積み重ねるというイメージとはかけ離れている予感がします。なぜなら、持続的・継続的な知識や思考を終焉したとき、英知(善性を開く)は永遠的・全体性が立ち現れてくるというのです。一人ひとりが全面的な責任を担う。それがある一定人数に達っした時、世界が一挙に変わるようなイメージです。
それは思考の範疇を超えたマインドの変容をもたらす別の生命体への進化と言ってもいいと思います。
この革命は、無意識のうちに条件づけられた思考の構造を解体し、全く別の脳に生まれ変わる(おそらく脳がまだほとんど使われていない理由はこのためだと思います)という点でいまだ経験したことのない革命です...。
『喜びから人生を生きる/アニータ・ムアジャーニ』を読んで
4日前にある方から「末期の乳がんで、糖鎖をもう一度摂りたい」という内容の電話があり、とても意味ある出来事だと感じたのでここにご紹介したい。
この方は以前このブログでも少しお話したかと思いますが、新潟県で不登校や精神的な傷をかかえたお子様を預かるお仕事(児童デイサービス)をされています。キリスト教の厚い信仰を持っておられ、自分のことよりも世のために尽くしてこられた愛の深い方です。(東日本大震災では、災害後すぐの4月には現地に入って1ヶ月以上ボランティアでリーダーとして活動されました。) この方との出会いは私が独立して今の塾を始めた頃で、当時すでに乳がんを発症されていましたが、3大療法を拒否し代替医療(自然療法のゲルソン療法やホメオパシー、自然農法食や岩盤浴療法)を徹底されバイタリティあふれる逞しさと大地のような包容力・愛のある方だという印象が残っています。(その後、新潟に行って施設の見学もさせていただきました。)
電話は最近は2年ほどなかったので、気にはなっていたのですが「声の張りもなく、明らかに病が進行している」のがわかり、暗澹とした気持ちになりました。
それでも信仰者なので毅然と受け答えされ、励ましの言葉を探す私をむしろ気遣うくらい愛の波動を持つすばらしい方です。とりあえず、希望される糖鎖を送りましたが、信頼できる糖鎖に詳しい知人に状況を伝えると「日本で取り扱いできない桁違いの免疫力向上(その知人が乳がんも完治の実績)の栄養補助食品が同社にある」と知らされ、それを特別ルートで調達してもらい、合わせて新潟に送り届けました。
あとは、それがからだに反応してよい変化(免疫向上)が起こってくれることを祈るばかりです。ただ、現実問題として経済が心配です。私自身はこの方には手間賃以上の不当な利益は取れないことはもちろんですが、それを差し引いた元々の金額でも安いものではありません。これがサプリメント療法の難点です。
私の思いとしては、そんなに長く経済が続かないことを視野に入れた方法も考えずにはおれないので、この方ならきっと真意を推し量ってくださることを信じて、ある末期がんからの生還を題材にした本をご紹介することにしました。その本は「喜びから人生を生きる/アニータ・ムアジャーニ著」という名も無きインド人女性が全身末期がんから“臨死体験”を経てわずかな短期間のうちに完全治癒に至ったという実話です。
なぜこの本を紹介することを思いついたかというと、私自身、思うところがあって電話がある一週間前に、ふと書棚から気になって取り出した本があります。それは「自己創成するガイア/森山茂著」というかつてこのブログで取り上げた自然界に事実として起こった相転移現象を詳述する内容の本です。
そこでは、35億年前に誕生したわずか一種の生物(シアノバクテリア)が世界を一変したという事実に基づいた奇跡的な地球物話が著されています。それまでのワールド(旧体制である嫌気細菌ワールド)に反旗を翻すべくたった一種類の好気細菌が現れ、旧体制に異議を唱えたときからたちまち(地質学的には一瞬)のうちに、旧体制のネットワークが崩壊し、現在もその子孫が惑星を謳歌する「好気生物のワールド」が実現したというのです。 わずか一種の変り種細菌が、具体的に何をどのように変えたかというと、「それまでの世界で猛毒と恐れられた酸素(燃焼や活性酸素化でとうてい扱えない)」を逆利用し解毒する酵素を自らの内に携え、さらに猛毒とされていた酸素を呼吸するという「大胆(気違いじみた)不敵な一種」が 生み出した方法でエネルギー効率が19倍にアップしたというのです。これにより旧体制にとっての猛毒は、じつは新体制にとっては栄養にもなるという、まさに価値観の変換もつ偉大な力を過去実際に繰り広げられたこの史実が如実に教えてくれます。絶体絶命の時こそ、それを反転する好機であることをこの本の作者はメッセージとして贈っているのだと感じ取りました。
そして35億年前に起こったシアノバクテリアによる自然界の奇跡は、私たちと同じ東洋のひとりの名も無きインド人女性によって実際に実現されていることを知りました。「喜びから人生を生きる」の著者アニータ・ムアジャーニの全身末期がんによる臓器の機能停止から、臨死体験による短期間での奇跡の生還の実話です。これは数多い臨死体験からの生還の中でも末期のがんがわずかな期間のうちに完全消滅した事例は特筆すべき出来事で希望を与えてくれます。
末期がんを患われたこの方も、きっとこの本のメッセージに含まれる真意を読み取られ再現していただけると信じています。アニータは、この本の中で恐怖と罪悪感からの
解放が彼女の病を吹き飛ばしたと語っています。
いまは電話をかけてきてくださったこの方が一日も早く元気に回復されることを願ってやみません。
ありがとうございます。
増え続ける乳がんの原因は?
「乳がんと牛乳」という本を知人に紹介されて読んだのは4年前だった。まだが原因が特定されたわけではないが、年々増加する乳がんに伴い女性は乳がん検診を受けることが最優先(早期発見・早期治療が最善の予防策)と意識付けされた感がある。
じつは、先日検診で乳がん検査でリンパに潜む乳がんが見つかり、担当医から手術を宣告(脅し・強要)され、ぜったいに切りたくないという思いで、わたしのサイトにたどり着き、試聴に来られました。
いろいろ代替医療を勉強され、近藤誠さんのことや帯津良一さんのこともご存知で、なんとか手術・抗がん剤・放射線の三大療法を避けたいとおっしゃっていました。
ボーンビートオーディオシステム(音響免疫療法)を試聴されたビフォー・アフターでは、低体温の常温から7分上がったので、驚いておられました。
今後の変化が楽しみとおっしゃってたので、また近々来られたときが楽しみです。
傳田式聴覚トレーニングで耳をひらく
先日六甲で、傳田文夫さんの講演会を、知人が主催した。
仕事で参加できなかったが、たいへんよい講演会だったそうだ。
傳田さんといえば伝説の「マジックリスニング」(数万台販売)の開発者(※表向きはそのようにはなっていないが)である。
先月、横浜の傳聴研を訪問し(夕方から5時間ほど)ざっくばらんにいろんな話を聞くことができた。
中でも、最新の話で、先ごろシンクロナイズドスイミングの監督に復帰されたI氏から直接連絡があったそうだ。傳田さんは自信満々に「耳がクリアになるとリズム感が劇的によくなるので、金メダルも夢ではない!」と。
競泳のK・K選手もメダルを量産したことは、その筋では有名だ。
傳田式は楽器の演奏能力だけでなく、運動能力やからだ全体のリズムの矯正にたいへん有効なアプローチだと感じます。
参考ページ:傳田式聴覚トレーニング体験
音響免疫療法の効果
先月はじめに、神戸の知人が息子さんと私の教室を訪ねてこられた。
塾を立ち上げた頃に大津に来ていただいて以来6年ぶりの来訪に懐かしさがこみ上げてきた。
今回は、前回と違いご子息と伴っての来塾には、わけがあり相談も兼ねて当術で利用いただいている「音響免疫療法」=ボーンビートオーディオシステムの体験に来られたのだ。
この音響機器はただの音響機器ではもちろんなく、開発者の西堀貞夫博士が発明家人生の集大成として世に出た音による癒し効果を体感できるテクノロジーである。
1時間弱の試聴体験であったが、ご子息からは「気持ちが良かった!」と感想をいただいた。知人のほうも「からだがぽかぽか暖まる感じがする」といってくれた。
それから一週間後、知人からメールが入り、「来週は女房と息子でもう一度体験に伺いたい」というので、変化があったのか聞いてみると、どうやら知人よりも奥さんのほうが息子さんの変化を実感されたようで、今、西堀博士の本も買って読んでいるという。
ボーンビートオーディオシステム(音響免疫療法)の即効性・体感はいつもながら凄いと思う。これもゼロ磁場効果のなせる業なのかもしれない。
傳田式聴覚トレーニングセミナー
今日は告知です。
傳田文夫三の講演会が6/7(土)、8(日)の二日間行われます。
傳田さんはクラリネット演奏、指揮者の体験から、聴覚の重要性に気づき自身で試行錯誤を重ね特殊な聴覚改良トレーニング法の発見されました。そのご紹介および体験セミナーです。
特殊なヘッドフォンから脳の予想を裏切る音源を聴くことで、“耳を変える”というユニークなアプローチです。実際にトレーニングを体験することで人間の可能性はまだまだ伸ばしていくことを実感していただけます。
傳田式は、トレーニング用CDそのものの音源が卓越し、音楽家はその楽曲選択の精度の高さに驚かれます。またインターバル期間も重要視する点ももう一つの特徴です。その期間、自然音(傳田さん自ら日本全国の海や山で収録された美しい音源)などを聴くことで何もしていない期間にも変化が現れてくるようです。
ぜひ体験にきてください。
6/7(土)の傳田文夫さん講演会の詳細
●テーマ「“耳を変える”傳田式メソッドで子どもを伸ばす」
●対象:発達障害児を持つ保護者および一般
●日時:6月7日(土)午後1時30分〜4時30分。
●場所:試遊館2階 滋賀県大津市神領3-12-1(マックスバリューの向かい。駐車場:30台有り。)
●講師:傳田文夫先生
●参加費:1000円
●託児室:なし
●お問い合わせ先:『ひらめき集中塾』
URL:http://tsjkyositsu.web.fc2.com/0nhkw02.html
E-mail:openthought@live.jp
6/8(日)の傳田文夫さん講演会の詳細
●テーマ「“耳を変える”傳田式メソッドで子どもを伸ばす」
●対象:発達障害児を持つ保護者および一般
●日時:2014年6月8日(日)
午後1時30分〜4時30分
●場所:エルおおさか・604号室 大阪市中央区北浜東3-14
地下鉄谷町線・京阪電鉄「天満橋」駅から西へ300m 駐車場:有り(有料)
●参加費:1000円
●託児室:なし
●お問い合わせ先:『ひらめき集中塾』
URL:http://tsjkyositsu.web.fc2.com/0nhkw02.html
E-mail:openthought@live.jp
※7(土)は大津、8(日)は大阪で開催場所が違いますのでご注意ください。