自然治癒力と万能薬〜万能薬でない方が矛盾〜


現代医学は人間機械論(機械の部品の修繕・取替え)を前提に様々な治療を行っているのだが、ほとんどのドクターは、医者や薬が治すのではなく「自然治癒力が最終的には身体を元に戻す」ということを知っている。自然治癒力は、からだの“どこそこの部位”にだけ限定的に働くということはない。からだ全体に遍在する万能性を持った治癒力なのである。しかし、現代医学では、からだを部位ごとに細かく分けた治療法が確立されており、各々自然治癒力の手助けを受けて局所的な治療が行われている。自然治癒力とは非局所的・遍在的な力であり、現代医学の守備範囲を越えた不可思議な力でなのである。そして、この自然治癒力が、仮にたったいま消滅したとすれば、現代医学は成り立たないというのも紛れもない事実なのである。

一方、代替医療(民間療法)の前提には、現代医療が棚上げしている“自然治癒力を高める”ことで治癒に至らせるという考え方がある。自然治癒力に働きかける医療である以上、効果は“どこそこの部位”に限定されないし、万能薬的に多岐にわたって効果・効能の体験談が出るのは、自然治癒力の性質上、むしろ当然の傾向性なのである。問題は、西洋医学のように定まった処方箋があるわけではなく、結果において、人それぞれ体質(体内環境)によって隔たり(効いたり効かなかったり)がある点である。理由は、自然治癒力そのものが未知の部分が多く、代替医療の「何が、どのように」作用して自然治癒力の引き金を引いているのか(プロセス)が明確になっていないからである。

現代医学は万能薬を否定するが、枠組み(機械論)上それは当然である。しかし、代替療法の場合は、自然治癒力に働きかけることに焦点をあわせている以上、万能薬的な効果・効能がない方が逆におかしいのである。しかし、結果にばらつきがあるのは共通する事実であり、現状では、当然保険療法として認可される道は狭く険しい。

アメリカの最先端の栄養療法(糖鎖栄養療法)によれば、体質(体内環境)とは細胞の質(細胞膜周辺の環境)であることがわかってきている。細胞は、60兆個すべて同じ情報を遺伝子に内蔵し、自然治癒力と密接に関係している。つまり、自然治癒力はからだ全体に遍在する力であり、60兆個すべての細胞に連動しているのである。だから、どの疾病には向くが、どの疾病には向かないということはけっしてないのである。細胞が本来の状態、すなわち細胞に良い(=“細胞をつくる材料”)物質である8つの単糖類が充足した時に、もし一部の病気にしか効果がないというのは逆に矛盾する話である。自然治癒力に働きかけるというのは、細胞が本来の状態を取り戻し、細胞間コミュニケーションが円滑に働く状態をいうので、必然的に万能的治癒例が出てくるのである。全体が繋がっている以上、すべてに関係してくる(万能性が期待できる)のはむしろ当然のことと言える。

ある特別な栄養素が、細胞を本来の状態に回復させることで、自然治癒力の引き金を引く以上、万能薬的な性質のもってくることは十分辻褄が合う内容である。また、民間療法のほとんどは、細胞が喜ぶ“8つの単糖類”と密接に関係しているといわれる。なぜ、民間療法に万能薬的なものが多くなるのかという根本理由が、じつはここにあったのである。

細胞レベルで働く栄養素として、「万能性がないと逆におかしい!」と言い切れる本当(最善)の代替医療(民間療法)が登場してきたのである。

また、それに呼応する形で、西洋医療においても、iPS細胞の作製成功という幹細胞の万能性に手が届きつつある時でもある。いよいよ、人類は、代替医療と西洋医療が自然治癒力の完全性という観点から仕様統一され、医療そのものの枠組みを書き換えるときに来ているのではないだろうか。